“特別な存在”であるのに、軽くなる一方の韓国マラソンの存在感

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(写真提供=SPORTS KOREA)
今から25年前の1992年8月9日、バルセロナ五輪の男子マラソンは、韓国の黄永祚(ファン・ヨンジョ)と日本の森下広一が、「心臓破りの丘」と呼ばれたモンジュイックの坂道で激しい優勝争いを繰り広げ、黄永祚が勝ち優勝した。

マラソンの歴史に残る名勝負であり、この当時、日本と韓国のマラソンは、世界をリードしていた。

ただひたすら前を見て走る黄の姿は、鬼気迫るものがあった。

当時の心境を黄に聞いたことがあるが、「どんなレースでも死ぬ気で走っています。健康のために走るのではない。ひとつの戦場です。一等はひとつしかない。そのためには、死ぬ覚悟で走らなければならないのです」と、語っていた。

まだハングリーという言葉が生きている、最後の時代だったと思う。黄の金メダルは、韓国国民を勇気づけた。

報道すらされない現状

現在ロンドンで開催されている世界陸上の男子マラソンでは、日本も韓国も不振であった。