もはや韓国人はメガスポーツイベントに踊らない!? 1988年のソウルから2018年の平昌へ

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1987年1月、公安の水拷問でソウル大生の朴鍾哲が死亡。この事実が明るみになると、民主化を求めるデモ、いわゆる6月抗争が起き、韓国は民主化へと進む。

私はまだこの映画を観ていないが、当局が必死に隠そうとした拷問死がいかに明らかになり、6月抗争に発展したかを描いた作品のようだ。

私が初めて韓国に行ったのも、1987年の夏だった。

当時はまだ全斗煥による軍事政権の時代。至る所に銃を携えた軍人や警官が立ち物々しかった。

新興工業国とか、中進国とか呼ばれ、先進国入りも遠くない状況であったが、交差点で信号待ちをしていると、物乞いが駆け寄って来るなど、貧しさも感じられた。

それでも、ソウル五輪を翌年に控え、国中が熱気やエネルギーに満ち溢れていた。

当時の全斗煥政権は、ソウル五輪を成功させ、長期権力の意地を目論んでいたようだ。

しかし6月抗争が起きると、戒厳令を敷いての手荒な弾圧は、ソウル五輪にも影響しかねない。いわば五輪を人質に取られた形で、国民が求めていた大統領の直接選挙制度を認めざるを得なかった。

五輪のような巨大イベントは、政治家の権力意識をくすぶるが、権力者の思い通りにいかないのも、五輪である。

それでもソウル五輪は、軍事政権の暗いイメージがあった韓国のイメージを一変させ、世界に存在感を示す契機になった。

長野五輪が韓国に与えた影響

そして民主化の方は、1987年12月の選挙では民主化のリーダーである金大中と金泳三がまとまらず、票が分散したため、全斗煥の側近で軍人出身の盧泰愚が大統領に就任したが、1993年に金泳三が大統領に就任し、本格化する。