数えで50歳になった“アジア最高のリベロ”は今、どこで何を託されているのか

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(写真提供=FA photos)
1993年に韓国人選手として初めてJリーグにやってきたノ・ジョンユン以降、数え切れないほどの韓国人選手が日本にやってきて、今やJリーグにおいて韓国勢はブラジル勢に次ぐ外国人勢力となっているが、その礎を作ったひとりがホン・ミョンボだった。

(参考記事:Jリーグ25周年の今だからこそ知りたい!! 韓国人Jリーガー、あの人は“いま”

21歳で1990年イタリアW杯に出場し、1992年にはKリーグ1年目ながら年間MVPを受賞。1993年10月にカタール・ドーハで行われたアメリカW杯アジア最終予選では韓国の主力として、オフト・ジャパンの前に立ちはだかった。

このとき韓国は日本に0-1で敗れ、「今度、日本に負けたらスパイクを脱ぐ」と語ったとされるエピソードはあまりにも有名だ(後日、このコメントについて尋ねたとき、「ああ、そんなこともあったね。少なくとも僕が出場した韓日戦では負けずに引退できた」と冗談半分で言い返された)。

1994年アメリカW杯ではスペイン戦のFKで、目の覚めるような右足ミドルを決めて、“アジア最強のリベロ”と呼ばれるようになった。

血判状を送りつけられながらも日本に

そして1997年7月にJリーグのベルマーレ平塚に移籍。