“蜜月関係”を200年以上も維持した徳川幕府と朝鮮王朝。両政府が乗り越えた違いとは?

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1392年から1910年まで続いた朝鮮王朝。1603年に誕生して1868年に終焉を迎えた徳川幕府。両方の政府はどんな違いを乗り越えて、善隣関係を維持したのだろうか。

(写真提供=FA photos)

武家政権と文官政府

朝鮮王朝は518年間も続いた。日本でいえば、室町時代から明治時代までに相当する長さだ。これほど長く続いた理由は何だったのか。

中央集権体制が国土の隅々まで浸透したことや、地方の豪族が抑えられて内乱が極端に少なかったことが大きかった。その他にもいくつか理由があるが、17世紀以降に徳川幕府と友好な関係を保ったことも大きかった。

なにしろ、前王朝の高麗が衰退した理由の1つは、倭寇(わこう)によって多大な被害を受けたことだった。朝鮮王朝も当初は倭寇に苦しめられたが、徳川幕府と外交関係を結んでからは、南部地方での憂いが少なくなった。

それが王朝の延命に一定の役割を果たしたことは間違いない。

朝鮮通信使の来日を通して、善隣関係を維持していた朝鮮王朝と徳川幕府。その政治形態の違いは、武士が支配するか、文官が支配するか、ということだった。

現実的に徳川幕府は武家政権であり、世襲制で維持された武士階級が政治を仕切っていた。しかも、武士は士農工商という身分制度の最上位に位置して、あらゆる特権を享受した。

反対に、朝鮮王朝は文官政府であった。518年間を通して、武官が文官の上に立ったことは一度もなかった。

保守的なエリートたち

朝鮮王朝の行政を見れば一目瞭然だ。