2009年WBCから10年。日本と激闘を演じた韓国選手たちは今、なにをやっているのか

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(写真提供=SPORTS KOREA)林昌勇(イム・チャンヨン)

ヤクルトでも活躍した韓国を代表する抑え投手の林昌勇(イム・チャンヨン)が3月11日、現役引退を発表した。

昨年シーズン終了後に所属球団であるKIAから戦力外の通知を受けたが、現役続行を望み、受け入れ先を探したが見つからず、引退となった。

林昌勇を育てた在日韓国人

林は1995年、出身地の地元球団であるヘテ(現KIA)に入団した。入団の翌年、それまで抑えの切り札であった宣銅烈(ソン・ドンヨル)が中日に移籍したため、その穴を埋める投手が必要であった。

林昌勇にサイドハンドの基礎を教え、ヘテの抑えに育てたのは、在日韓国人の申鎔均(シン・ヨンギュン)であった。申は愛媛県の八幡浜高校時代、肘を痛め、腕を下げて投げたことで球威が増し、シンカーなどの変化球がキレるようになり、58年の第40回全国高校野球選手権大会に愛媛代表として出場している。

申は社会人のヤシカで活躍していたときに韓国代表に選ばれ、63年の第5回アジア野球選手権でエースとして、韓国の日本戦初勝利と、アジア野球選手権初優勝に貢献した。

林昌勇がヘテに入団した頃、監督は63年の韓国代表の4番であった金應龍(キム・ウンリョン)であり、当時から友人であった申鎔均は、2軍監督として林の育成を任された。

体は細いものの、抜群の球威を誇っていた林は、申の指導もあり、宣銅烈の空白を感じさせない、ヘテの抑えに成長した。その後、経済危機でヘテ球団の経営が厳しくなるとサムスンに移籍した。

イチローの決勝打

林昌勇で思い出されるのは、今から10年前に行われた第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦で、二死二、三塁からイチロー(マリナーズ)に決勝適時打を打たれた場面である。